投稿者: itkuma
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ゴールデンウィーク
ゴールデンウィークは子供が小さい頃は、
パートナーの実家と私の実家に行くことが恒
例行事でした。移動手段は自家用車でした。
公共交通機関では子供が退屈してしまい、か
わいそうな気がして、それから、周りの目を
気にして、自由にさせてあげられないので、
移動手段はもっぱら自家用車でした。自宅か
らパートナーの実家までは通常2時間くらい、
混んでると4時間近くかかることもありまし
た。自宅から私の実家へは通常4時間くらい、
混んでると6時間くらいかかります。両方を
往復すると結構疲れました。
おむつの取れない時期は、移動中でもおむ
つが変えられるように、それから、子供が横
になれるようにと、車は車内の広いワンボッ
クスカーでした。助手席からの移動もしやす
いタイプだったので、結構重宝しました。
ゴールデンウィークといえば、ゆっくり休
むというより、長距離を運転することのスト
レスでちょっと憂鬱でした。
今では子供も成人して、自分の時間を大事
にするようになったので、一緒に実家に行く
こともなくなりました。おかげで私は好きな
ことに時間を費やせるようになりました。寂
しいような、嬉しいような、なんだか不思議
な気分です。ゴールデンウィークという同じ
言葉で表されるのに、その言葉が引き連れて
くる感情が、生活環境と共に変化するのはと
ても面白いです。自分でさえ、環境が変われ
ば、言葉の持つニュアンスが変わるのに、ま
してや他人をやです。人間関係のすれ違いは
こんなところから起こるのでしょうか。気を
付けます。
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福田平八郎展
先日、福田平八郎展に行きました。モネ展
も開催されていてそちらは文字通り長蛇の列
でした。洋画も嫌いではないのですが、作家
によります。ビュッフェだったら並んだかも
しれません。
福田平八郎展はとても素敵でした。自称
「写生狂」と言っているように、対象を緻密に
描写されていました。まさに日本画というも
のもあれば、モダンアートのような対象のフ
ォルムをデフォルメしたような作品もあり、
写実なのに抽象画のような感じのものもあり、
不思議な世界を味わってきました。中でも竹
の写生時のコメントが刺さりました。細かい
ところは忘れましたが、
「日本画で竹は緑青で描くが、写生をしてい
て一度も竹が緑青に見えたことはない。」
というようなものだったと思います。パート
ナーも気に入って、何度も口にしていました。
既成概念にとらわれず、自らの感覚を研ぎ
澄まし、対象をとらえようとする精神力に感
服いたしました。
当日は「漣」がレプリカでした。そのため、
800円割引のおかわりチケットをいただき
ました。それで先日再度見に行きました。本
物と思ってみているせいか、レプリカの時よ
り線の微妙な濃淡が違うように見えました。
比べてみているわけではないので、気のせい
かもしれませんが、本物を見ることは作者の
繊細な表現に触れることができるように思い
ます。実物を目の当たりにできることは本当
に幸せなことだと思いました。
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記憶の共鳴
「ひらめき」とか「インスピレーション」
とかは、突然頭の中にイメージが浮かび上が
り、それが何かを解決するための因子になっ
たりする事らしいです。そんな経験はないか
ら私にはピンときません。なんのインプット
もなく、突然アウトプットが出るのは想像で
きません。宇宙が創造される瞬間くらい、想
像できません。
私はどうしたらいいかわからないときなど、
とりあえず関係する知識を収集しまくります。
今はインターネットで検索すれば、大概のこ
とは出てきます。その信憑性については、周
りの情報と私の人生経験から、峻別します。
その峻別結果が世間一般とずれていてもあま
り気にしません。それらがなんとなく頭の中
にたまったままの状態にしてしばらく時間を
置きます。それが一年だったり、数年だった
り置くこともあります。そして、その漬け込
んだものが突然(そう突然)何かに共鳴する
かのように、頭の中に解決策を提示すること
があります。それを「ひらめき」とか「イン
スピレーション」とかいうのでしょうか。で
も私としてはそれは、インプットしていたも
のが、何かのインプットに共鳴して、アウト
プットされているだけにしか思えないんです。
時間が過ぎているのと、その時の問題と関係
ないように思えるだけで、単純な脳内での共
鳴反応だと思います。あえて言葉で表現する
とすれば、「記憶の共鳴」というのが私とし
てはしっくりきます。
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雨の日のテンション
「雨の日は落ち着くよね。」
そう言うと、パートナーは
「それって普段のテンションが高いからじゃ
ない。」
とのこと。
「どういうこと?」
と問い返すと、
「私は雨の日は何もやりたくなくなるぐらい
テンションが下がる。」
のだそうです。
「へ~、そうなんだ。」
といったものの「ピン!」ときていませんで
した。それだけの会話ですが、一緒に生活し
ていてもお互い知らないことがあるもんだと
思いました。もうかれこれ結婚して30年以
上経ちますが、それでもそうなんだと思いま
した。ましてや他人をやです。自分と同じ感
覚でいると錯覚して話をし、「えっ?」てなる
ことがよくあります。当然ですね。気を付け
ます。
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2024年の桜
2024年の桜は4月に入ってから満開に
なりました。ここ2・3年3月下旬に満開に
なることが多かったので、遅いのかと思いま
したが、そういえばパートナーが、
「あなたの誕生日はいつも桜が満開でいいよ
ね。」
と言っていたのを思い出しました。私は4月
9日生まれなので、
「今年が普通なんだ。」
と思いました。そういえば、子供のころも始
業式が始まる頃に学校の桜並木が満開になっ
ていたのを思い出しました。4月に入ってか
ら桜の満開を迎えた回数のほうが多いのに、
最近の何回かに影響されて、3月下旬に桜が
満開になることが普通なように思いこんでし
まうとは、我ながら情けないことです。やは
り、自分の感覚さえ疑ってかからねば、大事
なことを間違えてしまいそうです。気を付け
ます。
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言葉とイメージ
子供のころ見ていたテレビの番組で野生の
動物たちを題材にしたものがありました。そ
こではよく『弱肉強食』という言葉をよく耳
にしました。強いものが弱いものを捕食する
ことを表現していたようです。子供心に
「サバンナではライオンが一番強いんだ。」
と思っていました。
ところが最近は、大型の草食動物も自衛す
る場面を見ることもあり、さらに、ライオン
も命を全うすれば土にかえり、植物の栄養と
なり、草食動物の命の糧になる『食物連鎖』と
いった言葉を聞くようになり、『弱肉強食』と
はまったく違ったイメージを持つようになり
ました。
ある場面を見せられて、言葉でさらにイメ
ージを強調されると、ついそれにのっかって
しまうんだと思いました。さらにいまはこの
『食物連鎖』も『持続可能な社会』みたいな言葉
に置き換わってきているような気もします。
『弱肉強食』で育ってきたものですから、違
和感があります。でもよい意識変革だと思い
ます。ちょうど『弱肉強食』という言葉が横行
していた時代に、『火の鳥』という手塚治虫の
漫画を読み、『循環する命』みたいなことを感
じたことを思い出しました。『持続可能な世
界』も『循環型世界』ともいわれるように、
循環するイメージがあります。当時からその
イメージがすでに有ったんだと思い驚きます。
『弱肉強食』といわれても『食物連鎖』といわ
れても、野生動物の生き方は変わっているよ
うに見えません。しかし、私の見方が変わり
ました。言葉の持つイメージが私の見方を変
えたのだと思います。
すぐに言葉に左右される自分を本当に馬鹿
だと思います。そんな風に言葉にイメージを
左右されながらも、与えられるイメージを鵜
呑みにすることなく、物事を見据えていこう
と思います。
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ばね
人事異動の時期は、同期の方の地位があが
るのを見るたび、地位が上がらず、給料が上
がらず家族にもっと楽をさせてあげられない
自分を情けなく思います。そして、かなり落
ち込みます。私はほとんど仕事らしいことを
していないのに、高い給料をいただいている
ので、満足しておくべきですが、やっぱり落
ち込みます。
なぜかその落ち込みが深い分、その次に来
る今やっていることへのやる気が上がる気が
します。きっと私の場合、落ち込めば落ち込
むほどそれが、やる気への「ばね」になるのだ
と思います。
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脳内チップ
何かのニュースで見たんですが、脳内にチ
ップを埋め込んでカーソルを操作することが
できるようです。その方は事故で手足の自由
を奪われたそうですが、思うだけでカーソル
を希望通りの位置に動かし、クリック?もで
きるようです。どこまで進んでいくのやら。
アニメの甲殻機動隊の世界も見えてきている
のではないかと思ってしまいます。
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継続は力なり
特に大きな変化のない日常を送っていると、
ブログに書くネタが思いつきません。
そういえば、先日掃除の由来についてのT
V番組を見ました。仏教からきているそうで
す。お釈迦様のお弟子さんが、毎日掃除をし
て悟りを開かれたそうです。毎日掃除をして
も埃は積もる、人の心も同じで、毎日磨かな
ければ曇るみたいなことを悟られたそうです。
どれだけ長く継続されたのかは覚えていませ
ん。紹介されていなかったのかもしれません。
私も、悟りを拓けなくても、毎日とはいか
なくても継続してブログを書いていこうと思
います。そうすれば、何かが得られるかもし
れません。まったく何かを得ようとしてる時
点で、悟りとは縁遠いです。
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ほとんどネガティブ時々アグレッシブ
考えるのはいつも悲観的なことばかりです。
あれがこうなったら、これはこうなるのでは
ないかと、あれこれ考えた末の結末は悪いこ
とばかりです。その結末が相当悪い場合、最
初のきっかけを排除することに全力を尽くし
ます。
たばこやお酒をやめるときもそうでした。
20代は缶ピースと呼ばれるフィルターの無
いたばこを吸ってました。体調を崩してから
はロングピースに変えました。そしてかなり
体調を崩し、このままでは家族を養えなくな
るという結論が見えた時、何の苦も無くやめ
られました。だから、
「今禁煙中」
と言いながら、しばらくしたらまた吸ってい
る方を見ると、
「やめる気が無いから禁煙なんだろうな。」
と思ってました。ところが、どうやらたばこ
に含まれるニコチンは、体がその味を覚える
と、体が勝手に欲しがるようになるのだそう
です。それでやめられない方が多いのだそう
です。多分私はそのあたりの機能が鈍いのだ
と思います。お酒もそれと同じようです。
サックスを始めたきっかけも、どちらかと
いえば悪い結末が想定されたからだったと思
います。体調を崩したことをきっかけに、仕
事がうまくいかず、結構精神的に病んでた時
期で、このまま落ちていくとどうしようもな
くなる。そんな結末が見えて、これはなにか
気晴らしをしなければいけないと思った時、
ふっと頭に浮かんだのが、
「何か楽器をしよう。」
という思いでした。
でも、はじめからサックスを始めたわけで
はなく、最初はハーモニカでした。ただ、実
家に帰って練習してたら、不評だったのです
ぐやめました。
次がザフーンという、縦笛にリードをつけ
たような楽器を練習しだしました。確か一万
円くらいだったと思います。それを2年ぐら
い吹いていた頃、パートナーに、
「カッコ悪いから普通のサックスにして。」
さらに、
「でもサックスは習いに行かないと吹けないか
らね。」
といわれましたが、どうしても習いに行きた
くはありませんでした。ネットでサックス教
室を色々調べたんですが、どこも前向きすぎ
て私には重い感じでした。でも、悪い結末に
なる楽器をやめるという選択肢は排除しなく
てはなりませんでいた。
結局パートナーに、
「習いに行く気はないから、いつでもやめられ
るように安いもので始めてみる。」
といって、3万円未満のものを購入し始めま
した。その後5年くらい独学で練習し続け、
なんとなく吹けるようになってきました。す
ると欲が出てきて、
「もっといい音をだしたい。」
というどうしようもない欲求が芽生えてきま
した。そこでパートナーに、ダメもとで、遠
慮気味に、そして勇気をだして、
「今のサックスは安過ぎて、音がちょっとよく
なくて、普通のサックスに買い替えようと思
うんだけど、でも高いから、ローンで買おう
と思ってます。」
と、一気に言い切ると、
「いいんじゃない。やめずに続けてるし、何か
趣味を持ってたほうがいいと思うから、ちゃ
んとしたのを買ったらいいよ。」
といわれ、早速探しに行き、今の楽器に出会
ったわけです。購入するときパートナーも一
緒についてきてもらい、音を聞いてもらい、
一番音の響きがいいのを選びました。今でも
その時の選択はいい選択だったと思います。